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東京地方裁判所 昭和44年(行ウ)166号 判決

原告

藤木イキ

右訴訟代理人

渡辺良夫

四位直毅

南元昭雄

被告

武蔵村山市福祉事務所長

山本五郎

右指定代理人

門倉剛

外一名

主文

被告が昭和四二年九月九日原告の生活保護法による保護の申請を却下した処分を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

主文同旨の判決

二  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

旨の判決

第二  当事者の主張

一  原告の請求原因

1(一)  原告は、夫藤木由也とともに昭和二七年以降東京都江戸川区内に居住していたが、昭和三五年七月化膿性脳膜炎、脊髄カリエス、膀胱炎に罹り、入院治療をけることとなり、当時夫由也も病気療養中であつたため、原告らの世帯は同年一一月以降東京都江戸川区福祉事務所長から生活保護法(以下「法」という。)による生活保護をうけることとなり、原告は同三六年三月ころからは、東京都武蔵村山市所在の国立村山療養所で入院加療をうけ、現在にいたつている。夫由也と子供らの世帯は、同四〇年秋ごろ埼玉県与野市へ転居したため、同四一年一月から与野市長が保護の実施機関として、原告、夫由也、次男昇、三男進、長女玉江、同居人小川輝子を同一世帯と認定して生活保護法による保護を実施した。

(二)  しかし、原告が、その後厚生年金保険法の障害年金受給権の裁定を得て一六万余円を受領したため、同四一年一二月原告と夫由也らの世帯に対する保護の廃止処分が行なわれた。

(三)  原告は、その後まもなく前記年金を費消し、夫からの送金もなく、再び生活に困窮したとして、同四二年八月二八日、入院中の国立村山療養所の所在地を管轄する東京都北多摩西部事務所長(後に、武蔵村山市の成立に伴い、被告においてその権限を承継した。以下単に「被告」という。)に対し、法に基づく保護の申請(以下「本件申請」という。)をしたところ、被告は同年九月九日右申請を却下する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

2  原告は、本件処分を不服として、東京都知事に審査請求をしたところ、同知事は同四三年一月二九日これを棄却する旨の裁決をしたので原告はさらに右裁決について、厚生大臣に対し再審査請求をしたが、同大臣は同四四年五月一四日これを棄却する旨の裁決をした。

3  しかしながら、本件処分は、後記四のとおり原告居住地が夫由也の住所にあるという誤つた前提に基づき、原告の生活保護の実施機関を与野市福祉事務所長であると認定して本件申請を管轄違いの理由で却下したのであつて、違法なものである。

4  なお、被告は、本件処分後昭和四四年三月一一日以降、原告の再度の申請に基づき原告に対し法による保護を実施しているが、原告は、本件申請時から右被告の保護開始までの約一年半の期間、被告の本件処分により生活保護を受けることができなかつたのであるから、本訴において本件処分の取消しを求め、あらためて、本件申請時にさかのぼつて右の期間の生活保護を求める利益を有する。

すなわち、生活保護の給付を受ける権利は、国民の具体的な権利であつて、生活保護の要件を具備するものとして申請がなされ、右要件があるものと認められた場合には、保護は原則として申請時にさかのぼつて実施されるべきものである。けだし、もし、実施機関や審査庁が保護申請を認めない旨の決定をし、これらが不服申立てないし行政訴訟により争われる場合、申請時にさかのぼつて右要件を具備していた全期間を通じて保護を受けうることが保障されなければ、生活保護請求権が国民の権利であるということの実が失われるのみならず、行政庁の違法な処分を是正し国民の右権利を救済するために設けられた不服申立てや行政訴訟手続の趣旨が没却されることになるからである。したがつて、本件のように、過去の一定期間の生活保護を受ける利益に着目して、被告の本件処分の取消しを求める訴えも、訴えの利益を有するものというべきである。

5  よつて、原告は、被告に対し本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する被告の認否

請求原因1および2の事実は認めるが、同5の本件処分を違法であるとする主張は争い、同4のとおり、被告が昭和四四年三月一一日以降原告に対する生活保護を実施していることは認め、この点についての訴えの利益に関する原告の主張は争わない。

三  被告の抗弁

1(一)  法一九条一項一号にいう「居住地」とは、人の客観的な居住事実の継続性またはその期待性が備わつている場所をいうものであり、人が現にその場所に居住していなくても、他の場所に居住していることが一時的な便宜のためであつて、一定期限の到来とともにその場所に復帰して起居を継続していくことが期待される場合等には、世帯の認定をも勘案のうえ、その場所を居住地と認定すべきものである。

(二)  また、法一〇条は、保護の要否および程度の決定について、いわゆる世帯単位の原則をとつているが、この世帯とは、法による保護が経済的援護を主体とすることから、収入および支出、すなわち家計を一にする消費生活上の一単位をいうものであつて、居住が同一であることを必ずしも必要としないものと解すべきである。

2  ところで、原告と夫由也とは夫婦であるから、社会通念上同一世帯を構成するものと推定できるところ、夫由也は、昭和三六年原告が前記療養所に入院して以来、同四〇年ごろまで、原告に対し仕送りを続けていたのであり、原告が昭和四一年一一月に厚生年金を受給した後は、これをもつて入院中の諸経費にあてさせることを認め、以後仕送りはしないこととしているが、この仕送りの停止は便宜的な措置であるといえるから、これをもつて直ちに当時原告と夫由也との生計の同一性が失われたものとすべきではない。また、原告と夫由也との間で、昭和四〇年一二月から本件処分時に至るまでの間に、二回にわたり離婚の交渉が行なわれたが、本件処分時においては、いまだ夫婦関係が決定的に破綻の状態に立ち至つていないばかりか、離婚の交渉が始まつた後の時点において、原告と夫由也とは同一世帯を構成するものと認定され、埼玉県与野市福祉事務所長から法による保護の決定、実施をうけている。なお、原告と夫由也とは、昭和四一年以降本件保護申請に至るまでの間しばらく連絡がとだえているが、これは、夫由也が与野市清掃局員として勤務中に自動車より転落して重傷を負い、入院したことによるものであつて、この事実をもつて、両者の世帯の同一性が失われたものということはできない。

したがつて、原告は、本件処分時においては、夫由也と同一の世帯を構成するものであるから、原告の居住地は、同世帯の所在地である埼玉県与野市にあつたものというべきである。

3  よつて、被告が、原告の本件処分時における居住地が夫由也の世帯の所在する与野市にあることに基づき、原告の本件申請を管轄違いであるとして却下した本件処分に違法はないのである。

四  抗弁に対する原告の認否および主張

1  抗弁事実はすべて争う。

2(一)  法一九条所定の「居住地」は、人の日常の住まいの継続性と期待性などの客観的要件によつて定まり、右について問題があるときには、その人の居住に関する意思という主観的要件を加えて判断されるべきものである。

ところで、原告は、前述のとおり、昭和三六年三月以降前記の重病のため療養所に入院し、昭和四〇年ころもベットに寝たきりで、食事以外には他人の介助を必要とする状態であつて、同四二年八月の本件申請当時には、漸く車椅子に乗ることができるようになり、訓練をうけている段階で、現在なお退院の見通しはついていない。他方夫由也は、昭和四〇年秋ころ、江戸川区在住当時の隣家の主婦小川輝子と共に、原告に無断で与野市に移転し、原告と離婚して小川と結婚することを前提にして同女と同棲を続け、同年暮ころから同四二年暮ころにかけて原告に対し執拗に離婚を迫り、同四〇年五月以降は、同四一年一月末原告に離婚届に押印させるために三〇〇〇円を郵送してきたほかには、生活費の仕送りをしないばかりか、受領した原告分の生活保護の給付すら渡さず、さらに同四五年一月には原告の署名押印を偽造して原告との協議離婚届を提出したうえ、小川との離姻届を提出したのである。

右事実関係からすれば、原告には、与野市に住まいの継続があるとも、また将来与野市における夫由也の住所地において住まうことの期待もあり得ないはずである。また、原告は、本件処分当時において、夫由也の離婚の強要には反対したものの、主観的にも、退院の際に、他の女性と同棲している夫由也の住居に住まう意思を持つていなかつたものである。

よつて、原告は本件処分当時居住地がなかつたか、少くとも明らかでなかつたわけで、本件保護の要否は、法一九条一項二号により、原告の現在地を所管する被告によつて決定せられるべきである。

(二)  被告は、本件処分の理由中で「法に基づく保護の実施については、夫婦の一方が入院している場合、長期入院、援助の有無、婚姻解消の意思等にかかわらず、同一世帯と認定し、夫の居住地を所管する福祉事務所が責任を負う」べきものという。

しかし、法は要保護者の居住地か現在地の所管庁が実施責任を負うものと定めているにすぎないのであつて、所管庁を定める根拠となる居住地または現在地の判断に「世帯」の概念を持ち込み、夫婦が同一世帯の場合に夫の居住地の所管庁が実施責任を負うとすべき法的根拠はない。法一〇条の世帯単位の原則は、保護の要否や程度を決めるに際し、同一居住の下で経費共通による生活費の低減等を配慮するにとどめるものと解されるべきであつて、家計同一という一事をもつて世帯を同一とみ、その世帯員金員に対し低劣極まる生活保護費での生活を強要したり、法一九条の居住地を認定するための基準にしたり、いわんや、一方が入院している夫婦の婚姻が事実上破綻していても、入院者を夫の居住地にいるものとし、その世帯員全員につき生活保護費での生活を義務づけることの法的根拠と解してはならないのである。

五  原告の主張に対する被告の答弁

原告の四の2の(一)における主張事実のうち、原告の病気、入院の各点、夫由也が小川と共に江戸川区から与野市に移転し、同女と同居していたこと、夫由也が昭和四〇年暮ころから同四二年暮にかけて原告に対し離婚を求めたこと、夫由也は昭和四一年以降は原告に対し仕送りをしていないことは認めるが、その余の事実は争う。

第三  証拠関係

本件訴訟記録中の書証目録および証人等目録記載のとおりである。

理由

一本件訴えの利益の存否

本件処分後の昭和四四年三月一一日以降、被告が原告に対する生活保護を実施していることは、当事者間に争いがなく、したがつて、本訴は、本件処分の取消しにより、本件申請時たる昭和四二年八月二八日から同四四年三月一〇日までの期間、原告が生活保護を受けることができなかつた不利益について救済を求めようとするにあることは明らかである。そして、生活保護法による保護は、その生活扶助に典型的にあらわれているように、困窮のため最低限度の生活を維持することのできない者に対して衣食その他日常生活の需要を満たすために必要なものを給付するもの(法一二条)であるから、要保護者が過去の生活保護の給付を求めることは、一見その趣旨に反し許されないように思われる。

しかし、生活保護は、単に要保護者の生命をつなぐ程度をもつて足るものではなく、健康で文化的な最低限度の生活水準を維持することができるものでなければならない(憲法二五条、法一条および三条)から、生活保護給付請求権は、単に要保護者が保護を受けないで生存し得たという理由で、時の経過により時々刻刻不要、不能となり権利が消滅してゆく、いわゆる絶対的定期債権ということはできない。のみならず、過去の生活保護の給付は請求できないとすると、支給義務を怠り、これを遷延した義務者が不当に利益をうけ、これにより、支給されなかつた要保護者が前記の法で保障された水準以下の生活を余儀なくされるという不当な結果を肯定せざるをえず、このようなことは、生活保護法の目的に照らし、とうてい容認し難いところである。

したがつて、要保護状態にあつた者は、過去の生活保護の給付をさかのぼつて請求できるものと解するのが相当である。ただ、保護は、要保護者等の申請に基づいて開始するのを原則とする(法七条)から、要保護状態が存在し、かつ、保護の申請がされた場合に限り、その申請当時にさかのぼつて保護の給付を請求しうるものというべきである。

したがつて、原告の本件申請時以降一定期間の生活保護給付を請求する前提として、本件申請を却下した処分の取消しを求める本訴は、訴えの利益を有するものということができる。

二本件処分の違法性の有無

1  請求原因1(本件処分に至る経緯)および同2(不服申立て前置)の各事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告の居住地が夫由也の住所にあるとの前提の下に、原告の本件申請にかかる生活保護の実施機関が与野市福祉事務所長であつて、被告ではないとして、本件申請を却下した本件処分に違法があるか否かについて考察する。

(一)都道府県知事その他の保護の実施機関は、その管理に属する福祉事務所の所管区域内に「居住地」を有する要保護者に対し、法に従つて保護を決定し実施すべき責任を有する(法一九条一、四項)が、右にいわゆる「居住地」とは、客観的な人の居住事実の継続性および期待性が備わつている場所、すなわち、人が現に日常の起居を行なつており、将来にわたり起居を継続するであろうことが社会通念上期待できる場所をさすものと解されるが、人が現にその場所で起居していなくとも、他の場所における起居が一時的な便宜のためであつて、一定期限の到来とともにその場所に復帰して起居を継続していくことが期待されるような場合(いわゆる帰来性がある場合)には、本来の居住が一時的に中断しているに過ぎないから、このような場所も居住地に含まれるものと解するのが相当である。

(二) そこで、原告の本件処分当時の居住地について検討する。前記当事者間に争いのない事実のほか、〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

原告は、昭和三六年三月化膿性脳膜炎、脊髄カリエス等の病気のため国立村山療養所に入院して以来、殆んど同所で寝たきりの生活を送つてきたが、同四〇年五月までは、夫由也や子供達がときどき江戸川区の自宅から見舞いに来、また夫由也から毎月三〇〇〇円前後の日用品代等の仕送りもあつた。ところが、夫由也は、昭和四〇年秋に、次男の友人との交友関係を断つて、その不良化を防止する目的で、埼玉県与野市へ転居することとなつたが、その際、かねてから知り合い、時折つき合つていた隣人の小川輝子を子供達とともに転居先へ連れて行き、同女に子供達の世話をさせるとともに、同女と同棲するようになつた。夫由也は、右転居の事実とその理由を同年一〇月中頃原告に手紙で知らせてきたが、同年一二月になり、原告を訪問して、自分が小川と同居して同女に子供達の監督を依頼していることを話すとともに、自分が原告と夫婦である限り、生活保護を受けざるをえず、子供がそのため学校で肩身の狭い思いをするから、子供のために離婚して欲しいと申し入れ、離婚届に押印してくれれば、原告に今後も小遣いや衣料品代などの仕送りをするというので、原告は自分の療養生活が将来も永く続くことと子供のためを思い、やむなくこれに署名押印した。しかし、夫由也と三人の子等が翌四一年一月原告方に来訪したとき、原告は、右離婚届の原告の署名が婚姻前の旧姓によりされていたため、届けが受理されなかつたことを知つたが、同時に娘から夫由也と小川との同棲の事実を聞かされて、離婚届が無効でよかつたと思うようになつた。そして、夫由也は、その後も同年二月一日から八月二四日にかけて五回にわたり原告を訪問して、執拗に離婚を迫つたが、原告は夫由也が今後も原告の生活の面倒をみるという言葉を信用することができず、夫に、協議離婚するには第三者を間にたてるなどの筋道を通してすべき旨を述べて断つた。しかし、原告としては、すでに同四一年一二月ころまでには夫由也に対する未練もなくなり、ちようどそのころ、夫が勤務中に清掃自動車から転落して重傷を負うという事故があり、これが契機となつて、それまで原告ら夫婦の不和の原因となることをおそれていた小川は、由也と子供達にとつて重要な存在となり、由也と小川との事実上の夫婦関係は、もはや抜き難いものとなつて、子供達も小川を母と呼ぶようになり、由也らの世帯は、原告が退院後そこに戻りうるような状態ではなくなつており、原告としても夫の家庭に戻る気持はすでに喪失していたのであつて、ただ夫の求めているような屈辱的な離婚は承諾したくないという心境にあつたにすぎなかつた。なお、その間夫由也は、昭和四一年一月末に三〇〇〇円送金してきた以外は、原告に対する仕送りをまつたくせず、その世帯に支給された生活保護給付のうち、原告に対する扶助分すら原告に送つて来なかつたので、原告は、福祉事務所に依頼して、昭和四一年五月から七月まで右扶助を同事務所から原告に直送して貰うことにしたが、同年八月には夫由也が賞与を取得したため、これは打切りとなつた。ところで、原告は、昭和四二年二月に厚生年金を受領したため、同四一年一二月にさかのぼつて医療扶助も廃止され、その後は右年金を入院費、衣類、寝具代、借金の返済等にあて、やがてこれを費消しつくしたので、本件申請に及んだのであるが、原告は本件申請当時いまだに脊髄カリエス等の後遺症により立つことができず、車椅子を使用中で、松葉杖を使う訓練をしており、手も不自由で自分の身の廻りの処理をするのが精一杯という状態であつた。その後も、夫由也は幾度か原告に離婚を要求したが、拒否され、ついには昭和四五年一月協議離婚届を無断作成して届出をしたうえ、小川との婚姻届を提出したが、原告の訴えにより同年一〇月浦和地方裁判所において右協議離婚が無効であることを確認する判決がされ、同判決は確定した。〈反証―排斥〉

してみると、原告が本件処分当時国立村山療養所に起居していたのは、もつぱら病気療養の一時的な便宜のためではあるけれども、入院が非常に長期にわたり、いつ退院できるか定かでないばかりでなく、夫との婚姻関係は、前記夫の負傷を重要な契機としてすでに実質的に破綻し、もはや将来夫の住所地に復帰することが期待できず、かつ、その他に将来居住すべき場所も定まつていない状況にあつたとみざるをえない。とすれば、原告については、本件処分当時居住地がないことに帰するから、結局、原告に対しては、その現在地を所管する実施機関が保護の実施責任を負うべきこととなる(法一九条一項二号)のであつて、原告の本件処分当時の現在地である国立村山療養所所在地を所管する被告において、原告に対する保護についての決定をすべきであつたのである(武蔵村山市昭和四五年一〇月一四日規程四二号参照。)よつて、原告の本件処分当時の居住地が夫由也の世帯の所在地である与野市にあるものとして、被告に対する本件申請を却下した本件処分には違法があるものと断ぜざるをえない。

(三) ところで、被告は、法一〇条所定の世帯単位の原則を根拠に、原告と夫由也とは夫婦であつて同一世帯を構成し、本件処分当時は、まだ原告らの世帯の同一性が失われていないから、原告の居住地は同世帯の所在地である与野市である旨主張する。しかしながら、右法条の世帯単位の原則は、保護の要否および程度の決定に関する基準であつて、保護の実施機関の管轄に関する「居住地」について、既に述べたような居住の客観的事実を離れて世帯の所在地を基準とすべき旨を定めているものでないことはいうまでもない。もつとも、世帯は、原則として生計および居住を同一にする生活上の単位を指すものであるから、人の居住地は、その者の属する世帯の所在地と一致するのが通常であり、また、一時的に居住地を離れている者の帰来性を判断する資料として、世帯の所在地は重要な意味をもつというべきであるが、本件においては、原告と夫由也とは、法律上は夫婦とはいえ、前認定の事実関係の下にあつて、本件処分当時すでに生計および居住の同一性をいずれも失つていたのであつて、世帯が同一であるということもできないのであるから被告の前記主張はいずれにしても失当というほかない。

三結論

以上判示のとおり、本件処分が違法であるとしてその取消しを求める原告の請求は理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(杉山克彦 加藤和夫 石川善則)

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